モロッコに暮らす外国人として日常生活の服装について考える

生活

私はムスリムである男性と結婚し、書類上はムスリマということになっています。しかし礼拝も断食もしていません。ですので「イスラム教徒としてどうあるべきか」のような立派なことが言える立場ではありませんし、言うつもりもありません。

ただ、ちょっと思ったことがあったので、とりとめのない話になりますが書いてみたいと思います。

ぼかいか
ぼかいか

観光で来る方はそれほど気にしなくて大丈夫。
最後に服装アドバイスがあります。

スーパーでの出来事

マラケシュのスーパーに行くと、観光客だろうと思われる人を見かけることがある。
ある日遭遇した女性は、太ももの付け根付近とその他複数箇所に大きな切込みがあるオーバーオール。はっきりは覚えていないけど、コンパクトなジャケットを着ていたものの、ボタンは閉めておらず、見せても良いブラ?のようなものが見える、といういでたちであった。

私はスーパー内のフードコートで食事していたが、男性店員さんが彼女を見るなりすぐに目を逸らしたことに私は気が付いた。

食べ終わった後、買い物をしていると、また彼女に遭遇。ジュラバ(伝統的な長衣)を着たおばあさんが不満げに何かぶつぶつ言っていた。誰かに同意を求めるかのように思えた。男性同士、視線を合わせて何か言いたげな雰囲気を漂わせた人もいた。

「あぁ、こういう服装、嫌なんだろうな」という気配を感じたから、この出来事を何気なくツイッターに投稿した。

「ソフトイスラムと言われるモロッコだけど、なんでもありというわけではない。」

私の気持ちとしては、「嫌がる人がいるから、服装には気を付けた方がいいんじゃないかな。」ってぐらいだったのだけど。

違う意見

私の投稿から数分後、モロッコ女性の服装に関する投稿をした人がいた。
(私へのリプライではなく、私の投稿に対してどうこう言っているわけでもありません。
私の投稿とは関係ないものです。)

内容としては

・若い人は、好き好んで宗教上良いとされる服装をしているわけではない。やらされている。
・宗教に囚われない自由なふるまいの若者もいる。
・70年代のほうが自由な雰囲気があった。今の時代は押しつけ、同調圧力が強いと聞いた。
・窮屈なのでモロッコを出たいという人もいる。
・イスラムを神聖化するのは違うと感じる。
・宗教、肌の色、外見に関わらずフラットな目で人を見たい。

概ね、このような内容だったと記憶しています。
要するにリベラルな考え方の人もいるってことだろうと思います。これもまた事実、現実。決してこのツイートを否定するつもりはありません。

それで思ったこと

ただ…。私はいわゆる「気にしい」なので、私に何か言いたいのかなーとうっすら思った。

深く考えずツイートしちゃったけど「嫌がる人がいるから、服装に気を付けた方がいい」と言うことは余計なお世話、押しつけなのだろうかと悩んだ。
私の考えが古いのか?視野が狭いのか?言葉足らずではなかったか?

私は若い人とのお付き合いはありませんから若い人のことはわかりません。
金持ちでもありません。毎日欠かさず礼拝をする夫とその家族とともに、昔ながらのつましい生活をしています。リベラルな考えの人とは違うベクトルです。
私がそういう人だということを踏まえて続きをお読みいただきたいと思います。

服装の話に戻りましょう。
現状、私の肌感覚では、若い人はジュラバを常用する人のほうが少ないのかなと感じるし、頭のスカーフなし、体のラインが丸見えの服、という人も普通です。

ぼかいか
ぼかいか

もちろんジュラバのようなムスリマスタイルの人もたくさんいます。


私自身は、モロッコに来たばかりの頃は夫に言われてジュラバを着ていたけれど、今では年に1度着るか着ないか程度になりました。ジュラバは動きにくく、不便だったからです。
それと「激しい肌の露出、体のラインが出るものでなければジュラバでなくてもよい。」と夫の考えが時と共に変化したというのもあります。

モロッコの女性が宗教にとらわれない服装をしたいと考えるのは、時代の流れと共に自然なことで、今後どんどん加速するのだろうと思います。

でも、ここはイスラムの国。みんながみんな開放的な服装をしたいわけではないことは確か。

ちなみに私個人的には、ことさらイスラムを神聖化しているというつもりはありません。礼拝とか服装とかは、宗教というより生活習慣と感じています。

イスラム教って私から見ればいろいろな制約があって正直めんどくさい。夫がムスリムじゃなかったらよかったなぁーと思うこともあいます。今の時代もっと自由な生活があるということはイスラム教徒も知っています。それでもなお、流されず信じるものに従い続けるという姿勢が私には尊く思え、その気持ちを尊重しようと思うのです。

日本で働いていた頃、口うるさいと煙たがられていた上司が言った言葉をふと思い出します。
「人っていうのはイージーな方に流されやすいもんなんだ。流された先に何があるのか?流されないってのは強みなんだけどな。」
今になって、心に響きます。

実はスーパーで観光客の服装を見る人達の目に、私はハッとしたのです。
マラケシュは観光客が多いからそういう服装にはみんな慣れていると勝手に思っていたから。
でも何も感じてないわけではないんだなと知った。見たくないのに見せられてるんだなと。

ここはモロッコ。モロッコ人の国。私はあくまで外国人。だから私はモロッコの国に住まわせてもらっているという感覚で暮らしている。いってみれば、よそ様のお宅なのだ。よそ様のお宅を訪問したら私はお行儀よくしたい。人々の生活を不快にさせたくはない。

一人一人がやりたいことを自由にやるのは構わない。でもそれは、誰もが快適でいられるってことが前提であるべきになんじゃなかろうか。良く知らないけどユニバーサルってやつだ。

外見で判断されること

私の投稿、差別的要素があったかなと心配になった。ないと思っているけど。
私が言いたいのは、地元の人の生活習慣を尊重してあげたいなって言うことなので。

でも、差別じゃないけど見た目で判断されるってことはあると思う。いつだったか、モロッコに数年住んでいるという日本人の方と待ち合わせをしたことがあった。
合流すると「いやー、来る道すがらモテちゃって、声かけられまくりぃ~!来るのに時間がかかったわー。」と言っていた。
見ると深ーいスリットの入ったきわどいワンピースを着ている。そりゃそうだ。
そういう職業の人、もしくはそれに近しい人だって見られてるんだよ…。

これは、差別や偏見ではなく一般常識的な話。自由な服を着たいから着る。でもそれを相手がどう捉えるかはわからない。ましてモロッコ。都合の良いように解釈される可能性もある。
自由が時に危険な行為となりうることを老婆心ながら伝えておきたい。

まとめ

文字にすると堅苦しくなってしまうけれど、普段はイスラムに関して意識して生活しているわけではありません。

もし観光に来るだけというのなら特別に気を使わなくても普通の服で大丈夫。ただ、やたら肌の露出が多いとか、下着が見えるとか性的な匂わせ感があるのは嫌がる人もいると思う。

モロッコはとにかく太陽が強いです!そういう意味で肌を隠した方が良いってのもある。その場合はぴったり肌に貼りつくものではなくゆとりがあって風通しの良いものが1番。
それと、ビーチサンダルは太陽が足の甲に当たってジリジリしてきます。ご注意ください。

地域によって気温がだいぶ違います。エッサィウィラ、アガディールなどの海辺は夏でも羽織物が欲しいぐらいです。

最後に繰り返しますが、モロッコはこうだ、イスラムはこうだ、とかいうつもりはなく、単に私が感じたことを書いているだけです。こういう風に考える人もいる、ぐらいに受け取っていただけたら幸いです。

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