イスラム教徒の葬儀 義父が亡くなった時の話

生活

ある日の朝、近所の奥さんを見かけました。一目で旦那さんを亡くされたとわかる、真っ白な服装です。一昨年の秋、義父が亡くなった時も義母が着ていたことを思い出しました。
今日は義父のことを思い出しながら、モロッコでの葬儀や人たちの様子などを書いてみます。

義父の晩年

義父は、享年90歳は超えていたと思います。(この年代は自分で正確な年齢がわかっていない人も多いのです)
義父は私がモロッコに来た10年前から少しずつ衰えていきました。
亡くなる2,3年前から足腰が弱り、満足に歩けなくなって衰えが加速したように思います。

大変なことはとにかくトイレでした。満足に歩くこともできないのにイスラム式のトイレで用を足すと言って譲らないのです。
毎回両手両足を床につきます。義母は寒かろうとお湯をぶちまけます。全身びちゃびちゃ、排泄物にまみれ。トイレの後には全身を洗うという作業が伴うのでした。

おむつを履かせても脱いでしまうので、大であれ小であれ、昼夜を問わず至るところでおもらしをすることが日常的になっていました。

イスラム式トイレ。用を足した後はバケツに水をためて流す。
足腰が衰えた老人には、しゃがむことが難しい。

といっても、お世話はすべて義母がしていました。年の離れた女性をお嫁さんにもらうことは一昔前までの(そして今でも)モロッコでは普通のことで、女性が最期まで面倒を見ることになります。
義母が不在の時に、義父のトイレを手伝ったことがありますが、自分と同じぐらいの背丈の義父でもトイレに入らせるだけで大仕事です。私が腰を痛めました。

ぼかいか
ぼかいか

途中で義母が帰って来たから良かったよ。

亡くなる半月ぐらい前から、頑固だった義父に変化がありました。
プラスチック製の椅子の座面をくり抜いて作った特製便座で用を足してくれるようになったのです。今思えば、気力の衰え、これが亡くなる兆しだったと思います。

義父が亡くなった朝

朝起きると、寝床で義父が亡くなっていました。大往生です。
いつもはキンキン声で話す義母が静かに「全然動かない。死んだよ。」といい、長男である夫は無言で涙を流しました。次男は声をあげて泣きました。

それから、夫が医者を連れて来て死亡診断書を作ってもらい、役所に持って行くと遺体を埋葬する場所が指定されます。イスラム教なので土葬のためのお墓です。
お墓にかかる費用は、日本円で7000円ぐらい。埋葬時に現地で支払えば終了です。

ぼかいか
ぼかいか

事前に買う人もいるらしいけど。

親戚に連絡すると、皆、すぐさま駆けつけてきました。
義父本人側の親戚は死んでしまってもう誰もいませんでしたが、義母側の親戚や友人、近所の人などがぞくぞくやってきます。

義父側の親族はいませんが、義母の姉の息子の嫁の姉、義母の弟の娘の息子の嫁、など日本人だったらわざわざこなくてもいいかなぐらいに離れた関係の人たちも集まってくれました。

集まった人たちが座るためにパイプいすをモスクから借りました。家の外にもパイプいすを並べ、不幸があった家と一目瞭然です。

ぼかいか
ぼかいか

遺体を乗せる台も、モスクで貸し出してくれます。

義母は、全身真っ白の服装に着替えていました。夫を亡くした妻だけが、このようないでたちとなり、それ以外の人に服装に関する決まりはありません。
これを着るのは4か月間ぐらいで、その期間は外出はできますが他の人の家を訪問してはいけないそうです。
ちなみに、義母がメッカ巡礼から帰って来た時も、同じように真っ白の服で帰って来ました。喪服を準備してたわけではなく、イスラム教で重要な行事や出来事の時の服装なんだと思います。

メッカ帰りの義母。全身真っ白です。

埋葬するまで

モロッコでは、日本のお坊さんや、おくりびとと言われる人のような、職業として葬儀を執り行う人はいません。
一般人の中で、埋葬前の遺体の清め方や身支度の整え方等について知識のある人が、準備を手伝うという形になります。夫が近所の方を紹介されて、すぐ来ていただきました。
義父は息子たちによってお湯で清められ(同性親族のみが行う)、ひげも剃り、顔以外は真っ白な布で包まれました。

この後、遺体はモスクに運ばれ埋葬のための礼拝をした後、お墓に移動し埋葬されます。
ただし、女性は一緒に行くことはでません。自宅玄関でお別れとなります。義母はこの時だけ声をあげて泣きました。

また、モロッコのお祝いの席などで耳にする、場を盛り上げるための雄叫びのようなもので見送る女性もいました。イスラム教では死は終わりではないので、人生の節目の祝い事として景気よく送り出すということなのかなと興味深く感じました。

男性たちが家を出発したのは午後3時ぐらいでした。葬儀を終え墓地から帰って来たのは4時過ぎぐらいだったと記憶しています。亡くなってからあっという間で驚きました。

ご近所さんの協力

これは義母の作ったクスクス。どの家もだいたい同じ。

こんなときでも、お腹はすきます。いつもは義母が昼食を作るのですが、さすがにこの日は無理です。私が出産した時、手伝いに来ててきぱきと家事をこなしてくれた親戚たちも、来てくれたけれど何もしていません。まさか、お昼ご飯食べないの?と不安がよぎりましたが、杞憂でした。

左右両隣と向かいの家の方がクスクスを作って持ってきてくれたのです。
これはモロッコでは一般的なことで、大変な時は協力し合うという考えによるものだそうです。
みんなでクスクスを食べながら「これ、誰が作ったの?」と私が聞くと隣の家のおばちゃんが「私よ。おいしい?」と誇らしげに答えてくれました。

翌日は来て下さったのみなさんへ感謝の意味をこめて、我が家主催の夕食を振る舞うことになりました。
私が出産した時のお祝いの食事会の時にも依頼した料理人のおばちゃんをよんで、朝からてんやわんやです。

定番の鶏肉料理を作ります


当時住んでいた家は小さかったため、隣の家が女性用の食事会場、向かいの家が男性用の食事会場として、場所を提供してくれました。
ご近所さんは、数日の間食事を作って持ってきたり、毎日誰かしら様子を見にやって来ます。さびしがり屋の義母が1人になる時間がなく、ありがたかったです。

これは2019年の秋の出来事なので、コロナが発生する数か月前ということになります。過ごしやすい良い季節に、残された家族も心残りなく見送ることが出来てまさに不幸中の幸いでした。

ぼかいか
ぼかいか

近所の奥さんは、だんなさんがコロナで亡くなった。遺体は自宅に戻れず、病院から埋葬された。悲しい出来事です。

まとめ

モロッコの葬儀は日本と比べるとスピーディで、決まりごとが少なくシンプルです。
生前に葬儀やお墓の心配をしなくてもいいという点では恵まれていると思います。
そして、地域の住民が助け合い、団結力の強い社会であることを実感しました。

広告
タイトルとURLをコピーしました