文盲の義母の暮らし。

生活

私の義母は字が読めません。モロッコではこの世代の方が文盲なのは珍しいことではありません。
感動する話や、深い話はありませんが、文盲の義母と暮らしてみて、「字が読めないとそうなるか・・」と思った事などを書いてみます。

義母は何歳?

義母の話をする前に、まず義母は何歳なのでしょうか?

ぼかいか
ぼかいか

あなたのお母さんって何歳なの?

だんなさん
だんなさん

わかりません。誰も知らないんです。昔の人はみんなそんな感じですよ。

衝撃な答えでした。義母の正確な生年月日はわからないのです。義母が生まれたころは社会制度もまだ確立されていなかったのでしょう、役所も把握していません。

だんなさん
だんなさん

たぶん、70歳ちょっとぐらいじゃないかなぁ。

数字も読めません

字が読めない=数字も読めないということです。
ちなみにモロッコではアラビア文字と一緒に使われる算用数字「١٢٣٤٥٦٧٨٩」ではなく日本と同様「123456789」という文字を使っています。

数字が読めないとできないこと

①電話が出来ない
「短縮登録すればいいんじゃない?」と思ってしまったのですが、短縮登録してもやっぱり数字は使うのです。ノートに電話番号をメモしていて、電話をかけたいときは他の人にノートを見せて、電話をかけてもらいます。

ぼかいか
ぼかいか

0~9の数字ぐらい覚えたらどうか?と思うけど、本人も周囲もその必要性を感じてはいないんだなー。

②時計が読めない
「デジタル時計を使えばいいじゃない?」と思ってしまったのですが、時計の針の読み方がわからないのではなく、数字が読めないのでデジタル時計でもだめなのです。
 
昼食は義母が作ってくれるのですが、いつも大体決まった時間に出来上がります。
アナログ時計の針の角度をなんとなく覚えているのかもしれません。あとは自分の時間感覚と腹時計でしょうか(笑)
「ご飯の時間を15分遅くして欲しい」などイレギュラーなお願いをすることはできません。

③テレビが見れない
モロッコの地上波のテレビ局は2つしかありません。ほとんどの家庭では、それとは別に多チャンネル視聴するための契約をしています。そうなると、リモコン操作が覚えられないし、見たいチャンネルを選択できないのでテレビを見ることができません。

テレビの代わりに、つまみをひねれば何とかなるラジオをよく聞いています。

紙は字を書くものではない

あたり前と言えば当たり前なのですが、文房具を持っていないことにある時気がついてはっとしました。
絵を描いて楽しむこともなければ、図に書いて説明するということも必要のない生活なのです。

紙は筆記用具ではなく、何か包んだり、手を拭くための物として認識されます。
数年前に、義父が私の本の帯をくしゃくしゃにして手を拭くのに使ってしまうという衝撃的な出来事がありました。地元のレストランでは手を拭くのにわら半紙を使うことがあるのでその感覚なのでしょう。

ぼかいか
ぼかいか

本の帯は全く水を吸わなかったけどね(笑)

日用品や食料品が複数同時に切れることってありますよね?そんな時などにメモが出来ないのは非常に不便です。買い忘れたら店と家とを行ったり来たり、もしくはその日は諦めるかということになります。

自分の記憶力に頼るしかないのですが、切羽詰まった感はなく、だめだったら仕方がない、あわてることはありません。

病院

自分で病院に行くことはできます。ただ、家に帰ってきてお医者さんがなんと言っていたのか、家族に説明するとなると難しいようです。読み書きできないということは、理解力なども劣るのではないかと思います。(あくまで個人の感想です)

病院に行く時はノートを持って行き、お医者さんに病状などを書いてもらっています。小学校の連絡帳のような感じです。お医者さんも大変だなと思いますが、こういう対応はモロッコ人にとって日常的で、当たり前という感覚かもしれません。

買い物はどうしてる?

今はコロナのため、夫が義母には外出させませんがコロナ以前は、義母が自分で買い物に行っていました。毎朝夫がその日に使う分だけのお金を渡します。

ぼかいか
ぼかいか

面倒だから1ヶ月分まとめて渡したら?

だんなさん
だんなさん

そんなことをしたら一日でお金が無くなりますよ。

自分で買い物に行っているのでお金の計算はできると思っていたのですが、金額が大きくなると厳しいようです。
孫に指を折りながら1~10までを教えていたところを見ると、文字としては認識できなくても数字はわかるというのが面白いなと感じます。

毎日の買い物は、市場に行ってお店の人と話しながら買う昔ながらのスタイルです。「今日は安かった」「高かった」など話していることもあるので、だいたいの相場価格は把握しているようです。

お札がよくわからないためか、家では帽子ぐらいの大きさの入れ物に硬貨だけを保管しています。しょっちゅうお金を数えているところに遭遇してしまい、気まずい気持ちになります。

恥ずかしいという意識と隠ぺい体質

文字が読めないということを義母自身は恥ずかしいと感じているようです。だからといって勉強しようという考えにはならず、字が読めないことを隠そうするだけです。見栄っ張りなモロッコ人らしいところかもしれません。

私がモロッコに来たとき、当時はスマホもなかったので「旅の指さし会話帳」という本でコミュニケーションを図ろうとしました。
この本はモロッコ語と日本語が並んで書いてあって、その部分を指させばコミュニケーションがとれるというものです。私が本を見せると、わかったようなそぶりだったので、私はしばらくの間、義母が字が読めないということに気が付きませんでした。

だんなさん
だんなさん

そういえば、私が小学校に入学するとき、お母さんは字が読めないから・・

ぼかいか
ぼかいか

何かな?深イイ話でも始まるのかな??

突然ですが、ここでクイズです。
Q.自分の息子が小学校に入ることになった時、義母がとった行動は次のうちどれ?
1.字が読める人を呼んできて、息子に教えさせた。
2.一緒に勉強しようとに息子に言った。
3.自分にも教えてと言った。
4.読めるふりをした。



正解は4.読めるふりをしたです。
私は夫が話し始めた時、「自分は字が読めないから、せめて子供には・・」的な感動ストーリーを期待してしまったのですが、違っていました。感動を求めてはいけません。
とてもモロッコ人らしいエピソードでずっこけそうになりました。

恥ずかしさは感じていたとしても、教育の必要性の認識はあまりなかったようです。夫はたまたま勉強が好きで大学まで行きましたが、3人の弟、妹たちは学校にほとんど行かず、成人してから政府が運営する支援機関でとりあえずの読み書きは覚えたということです。ちなみに一番末っ子の妹は今30代半ばです。

義母の楽しみ

たまに義母が何もせずただぼーっと座っているのを見かけることがあります。認知症にならないか心配になります。趣味と呼べるものはもっておらず、楽しみと言えば友達とのおしゃべりと結婚式に出席することぐらいですが、このコロナ禍においてはそれもままなりません。

モロッコの昔ながらの結婚式は自宅で行い、一晩中大音量を流して踊りまくります。私は一時間もいればもう十分なのですが、義母は最後まで参加することもあります。それは朝帰りということを意味します。いやー、すごい体力です!

心身の健康のためにもコロナが収束することを願うばかりです。

まとめ

文字が読めなくても、問題なく生活できる社会の雰囲気がモロッコにはあります。こんなところがモロッコのいいところかなと感じます。

現代社会においては、文盲であることはとても不便なことですが、義母は昔のまま変わらない生活を望んでいます。今さら新しいことは受け入れようとはしません。本人が幸せならそれはそれでいいのでしょう。

私はアラビア語も読めなければ、話すこともできないのですが、夫がそれを問題とせずに私と結婚したのはこんな背景があって、お世話することに慣れているからかもしれないなと思ったりしました。

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