精神疾患を持つ夫の弟。最近施設に入ることができました。私が同居してからの13年間を振ります。(感動する話も伝えたいメッセージなども特にありません)
家の中に誰かがいる。
義家族同居暮らしを始めて、ようやく生活が落ち着いてきたある日のこと。家には私しかいないと思っていた。私と夫の生活スペースは2階だったが、用事があって義理家族が生活している1階に行ってみると台所に見知らぬ男がいた。「え、誰?」私は恐怖ですぐさま2階へ戻った。
仕事から帰ってきた夫に「なんか、知らない人が家にいた。」と言うと「病気の弟でしょ?前に言ったじゃん。」との返事。そういえば結婚前に「何人きょうだい?」と質問したら「3人。1人は病気。」と言っていたことを思い出した。結婚後、普通に働いている弟1人と妹1人に会っていたので夫と合わせて3人兄妹だと思っていた。弟の病気は治ったんだなと勝手に思っていたが、男兄弟だけで3人という意味だったと知り、もう1人の弟の存在をこの時知った。
夫とは日本語で話していますが、
日本人だったら男の兄弟だけで何人か
なんて聞き方はしませんよね~?
この時点で義弟はうつ病と診断されている状態で、すでに数年間部屋で寝て過ごす生活をしていた。それにしても同居だというのに紹介もしない、させないのは何故なのか?家族にとってはあまり知られたくないことなのかもしれない。そう思うと興味本位で根掘り葉掘り聞くのは悪いような気がして話題にすることはあまりできず未だに謎が多い。
今だからわかることは、夫は特に何も考えていないだけだった。そして義母は隠ぺい体質、外聞を気にし自分を良く見せようとする人だから触れなかったのかなと思う。
いつだったか、義母が義弟の爪をハサミで切っているところを偶然見てしまったのだが、義母は私が見ていることに気が付くとサッとハサミを背中に回したのだった。自分の息子が正常だと見せたいのだろうか。同じ家に住んでそれは到底無理な話だけれど。
それよりも、どでかい裁ちばさみで爪を切ってたことを隠したかったのか?
病状など
私の記憶の最初の方では、薬を飲んだ時や調子のいい時はうるさいぐらいにシャキッとすることもあった義弟。一人で外出できることもあったが、次第に自分で家に帰ってこれなくなった。
私たちは市内に住んでいるが数回転居している。以前住んでいた家に帰ってしまって、親切なお隣さんが泊めてくれたこともあったし、自宅からだいぶ離れたところで近所のパン屋さんがたまたま見つけてバイクで連れ帰ってくれたこともあった。
数週間行方不明になったこともある。野宿していたのだろう、砂ぼこりまみれで見つかったこともあったし、またある時は殴られた顔で見つかったこともあった。わずかばかりの所持金と靴とベルトはなくなっていた。悪い者に盗られたのだろう。
モロッコの治安のリアル。
いい人もいるし悪い人もいる。
ある日、家族が皆出かけて家に私一人残っていた時のこと。玄関のチャイムが鳴ったので家の中から「誰?」と聞くと義弟だった。ドアを開けてみると義弟が立っていた。鼻の両方の穴から鼻水を上唇より下までたらし、口を開けてよだれを流している。あまりに衝撃的で忘れられない。病気の人にこんなことを言って申し訳ないが、水木しげるが描く妖怪つるべおとしのようだった。
手にはムスンメンが入ったビニール袋を持っていた。こんな状態で自分で買い物出来たのか、それとも優しい人がくれたのだろうか。
いつの頃からか1人で話をするようになっていた。
「スバーフルヘール シ ムハンマド、スバーフルヘール シ ムハンマド、スバーフルヘール シ ムハンマド、スバーフルヘール シ ムハンマド、スバーフルヘール シ ムハンマド…」
モロッコ人のしつこさの本領発揮、返事をするまでやめないんだろう。もちろんうちにムハンマドという名前の人間はいない。
シ ムハンマドと楽しそうに会話していることもある。
他には無限「ムイ、マクラ」というのもある。「お母さん、ごはん。」という意味だがこちらは義母がすっとぼけているだけの可能性がある。でも食べ過ぎてしまうからこうするのも仕方がない。
薬を飲むとおなかがすくそうだ。真偽は定かでないが家族がそう言っている。ちなみに薬のせいで便も大変臭いのだという。たまに盛大に粗相をしてしまうのだが確かに強烈なにおいだ。
うつ病から統合失調症へ
病院へは義母が公立病院に連れて行っていた。うつ病と認定され薬は無料でもらえるようになっていたが病状は良くはならなかった。どんな治療をしているのか気になるところだが義母が医者から説明を聞いても理解しないだろうということはこの13年で私が学び理解している。公立病院はいつもめちゃめちゃ混んでいるそうでノートに薬の名前などをメモしてもらってはくるが、懇切丁寧な対応、高水準の医療など期待することはできないだろう。
今から何年か前に夫が良い病院があると教えてもらって私立病院へ連れて行った。そこでの診断の結果はうつ病ではなく統合失調症ということであった。病状を見てきた私からするとまあそうだろうなとしか感想はない。
公立病院の診断が誤診だったのかはわからないが、少しずつ状態が悪くなっていったということは確かだった。
原因は不明
私のイメージだとモロッコ人は日本人と違って大らかに暮らしていると思っていた。仕事がなくてもみんな堂々としているし、結婚したければお見合いがある。義弟には失礼だが、うつ病になる原因としてよくある悩みやストレスなんてあったんだろうか。
統合失調症と診断されてから義母が「高いところから落ちて頭をぶつけたのが原因」と言い出した。そういうこともあるかもしれない。だけど今まで理由は分からないと言ってきたのにどうして急に変わったのか。統合失調症という事実がいやだったんだろうなと思えて切ない。
というか、高いところから落ちてけがをしたのは健康体の義弟なんだけれど。それとも2人とも高いところから落ちたの経験があるのか?うっかりすぎる兄弟じゃないか。
本当に私の妄想でしかないけど大麻でもやりすぎたんじゃないかなとかうっすら疑っている。モロッコだし。(夫に言ったら否定されましたのであくまで私の妄想です。)
他に考えられる理由とすると遺伝的なもの?と考えると私の息子たち大丈夫かなって不安になってしまう。だから頭をぶつけたでもういい。
公式見解 義弟の病気の原因は不明。
流血事件
病気になる前は、はつらつとしていたという義弟だが病気になってからは寝ているだけのことが多く、大暴れするようなこともなかった。でも1回だけ危険な事件を起こしたことがある。
「お父さんが死んでる~!」朝、義母が叫ぶ。額から義父が血を流して倒れていた。(なお、私は爆睡しており、すべて夫から聞いた話)
どうやら義弟が寝ぼけてココット(モロッコの圧力鍋)で義父に殴りかかったらしい。幸い直撃は免れ、鍋の縁のパーツが当たって切れて出血したようだ。ちょっと意識を失っただけで傷は浅かった。(話はそれるがモロッコ人は意識を失いやすい気がする。なぜ?)
しかし大事には至らなかったとはいえ正常でない人間をこのままにしておいて良いのか?と家族みんなが思った。
当時、家族や知人が知っている限りにおいて精神病患者を収容してくれる施設はこの辺りにはなかった。そこで頼ったのは親戚。警察に勤務する親戚に頼み込んで警察の施設に預かってもらえることになった。完全にコネである。一族の結束がこれほど頼もしく感じたことはない。
さて、その施設というのは精神疾患を持つ人が入るところで、中を見学した義母によると監獄とか牢屋とかいう感じではなく、数人が一緒に楽しそうに過ごしているということだった。「お揃いのきれいな服を着せてもらっている」と義母は喜んでいたが、たぶん安全面を考えてのことだろう…。
とりあえずそこに預かってもらえて一安心したのだったが、それも束の間。三カ月ぐらいで退所を促された。夫は交渉してもう少し留まらせたかったそうだが、連絡を受けた義母が二つ返事で連れ戻してしまった。病気とは言え自分の息子だからそばに置いておきたかったのだろう。
ようやく預け先が見つかる
義弟の世話は義母がやっている。私は言葉も通じないし、夫から何もやらなくていい、というより何かあったら困るので近づかないでと言われているのでノータッチを決め込んでいる。
手がかかるのはシャワーとトイレ。夫か健康な方の弟、それと無職で年中うちに来ている義妹の夫が手伝ったらいいのにと思うが積極的に手伝う雰囲気ではない。モロッコは男女別の社会、男の仕事ではないと思っているようだし、義母もまた手伝わせようとする様子はない。
長年、将来的にどうするつもりなんだろうと気がかりではあったが、私が悩んだところで解決策はなかった。「考えない」。それしか私に選択肢はなかった。
お母さんが年老いたらどうするの?
と聞いても夫が困るだけ。聞けやしないよ…。
ところが最近、政府が運営する施設があると知り義弟を入所させることができた。
義母もだんだんに諦めがついたのだろう。
義父が亡くなった時は義弟は部屋でぼんやりしていただけだった。
モロッコ南部震源のあの地震の時は義母が「外に出て!」と何度も声を張り上げたが全く理解せず、結局義母は1人で避難した。
最近は言うことを聞き入れなくなり大きな声を出すようになった。悪い言葉も言う。病気とはいえ体は健康体。ガタイのいい50代半ばの男性に大きな声を出されるとやはり危険を感じる。
「私はもう年老いたので面倒を見ることが大変なのです。」
入所審査の面接で自分がこう言ってお願いしたのだと義母が誇らしげに言っていた。やはり希望すれば誰でも入所できるわけではないらしい。病人の世話を頑張ってる家族は他にもたくさんいる中、コネなし賄賂なしで選んでもらえた我が家は幸運だ。
家族による介護
家の外に出ると道路の真ん中でおしっこをまき散らすおじさんとか、大きい声で一人で怒っている人とか様子のおかしい人を見かけることがある。以前は嫌悪感(病気なのにごめんなさい)と恐怖感しかなかったが、今となっては家族は大変だろうなと思えるようにようになった。
家族にとっては外出してくれた今が束の間の休息タイムなのかもしれないし、もしかしたら心配して探し回っているところかもしれない。
記憶がおぼろげだけど、モロッコの前国王が「モロッコに老人ホームは作るべきではない」と言っていたのをSNSで見たか、夫に聞いた記憶している。モロッコの良さは家族の絆が強いところであって、お金で家族を捨てるような施設を作ったらモロッコの良さが失われるという趣旨だった(気がする)。
老人ホームがダメなら精神病院もダメなんだろうとあきらめていたけれど、現国王によって近代化されてきているのだろう。老人と違って精神疾患は野放しになってしまうと危険だからそもそも別物だと考えるべきものだけれど。
私は今ただただほっとしている。けれど病人の世話を頑張っている家族はいっぱいいることは忘れないようにしたいなと思っている。
施設へ入居させて1カ月ぐらいが過ぎた。義母は週に1回は面会に行く。チョ、マテヨ。
「あなた元気ですよね?面倒見れますよね?」ってお医者さんに言われてまた戻されないか少々心配な日々を過ごしている。